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【開催中】市野信水作陶展

2019.04.03
皆様、こんにちは、ヒカルです。

今週の美術画廊は丹波焼を代表する茶陶作家「市野信水先生」の個展を開催しております。丹波の数種類の原土で、板起しという成形法を維持しながら、江戸時代に始まる丹波茶陶の伝統を、色濃く受け継ぐ「信水窯」の二代目でいらっしゃいます。


(左から)
「26.耳付花入」「4.六角水指」「97.市島釉茶碗」「9.六角茶入」「49.肩衝茶入」「8.耳付茶入」

■信水窯について
茶陶を専門とする市野信水先生の信水窯は、陶芸家・市野丹泉の次男で初代の信水が、1968年に窖窯と登り窯を現在地に築いたことから始まります。1932年生まれの初代は一時日展に出品していましたが、個人作家として独立。当初から茶陶に専念し、1983年には日本工芸会正会員となり、丹波焼を代表する茶陶作家の一人となられました。

壺、甕を始めとする生活雑器の生産からスタートした丹波焼は、民藝運動家の評価も重なり、そのイメージが強いのですが、茶陶づくりも盛んで、その始まりは江戸時代前期に遡ることができます。小堀遠州らの指導により、「遠州丹波」と称された茶碗、水指、茶入などの名器が次々と誕生し、とくに高く評価された茶入が、小堀遠州の茶会で使用されたことが記録に残っています。

こうした江戸時代からの茶陶づくりの伝統は、信水窯を始めとする立杭の窯元で代々脈々と受け継がれています。というのは、立杭は土地が限られているため新たに人が入り込むが余地がほとんどなく、江戸時代の頃からの家筋が現代まで存続しているからです。現在の窯元が十数代にわたって丹波焼に携わってきたことになります。

 

京都で学んだ初代の長男・克明氏が、立杭に戻ったのは23歳のとき。陶芸ブームがやや下火になってはいましたが、初代のもとで修行することを選ばれ、64歳で亡くなった初代の名跡を5年後の2002年に継ぎ、現在二代目信水として、茶陶づくりに専念しておられます。



「26.耳付水指」「12.茶器」

 丹波焼で伝統的に使われてきた土、山土と田土。歴史が古いのが山土で、現在は三田市四ツ辻から採取されています。登り窯時代から使われるようになった田土は現在、篠山の弁天産を使うようになっていますが、ともに組合の坏土工場が1963年に精製を始めるまでは、各窯元がふるいに掛けたり水ひを行ったりしていた。信水窯は、その昔ながらのやり方を踏襲しています。

先代から集め始めた特徴のある山土や田土の原土が6種類ほどあり、それを単体で使用したり、混ぜ合わせたりして、茶陶づくりに生かしておられます。

茶入、茶碗、水指などの信水窯の茶陶は、小さなものから大きなものまで、立杭独特の左回転の轆轤で成形されます。それもほとんどが板起しで、底に付いたもみ殻の痕が、焼締陶ならではの奥深さを醸し出しています。茶陶の焼成に使われることが多いのが半地下式の窖窯(あながま)で、1,200度を30時間から40時間維持しながら焼きます。熔けずに器の表面に顔を出した細かな石粒が、自然釉、ほのかな緋色や焦げなどと、控えめながら絶妙なハーモニーを奏でているのが、信水窯の茶陶の見所となっています。


 



 ICHINO  SHINSUI  PROFILE
1957年 丹波立杭焼に初代・市野信水の長男として生まれる
1977年 京都造形芸術学院卒業(現在、京都造形芸術大学)
1980年 丹波で初代の許で指導を受ける
1986年 日本工芸会近畿支部入選(以後毎年)
1989年 田部美術館茶の湯の造形展入選(以後11回)
1990年 日本伝統工芸展初入選(以後5回)
1993年 県工芸美術展神戸新聞社大賞
1993年 蓬菜会展(清水卯一主宰)に出品(以後毎年)
1993年 日本工芸会正会員に推挙
2001年 日本陶芸展入選
2002年 大阪高島屋で二代市野信水襲名記念展を開催
 大阪高島屋、米子高島屋、神戸大丸、ぎゃらりい栗本などで個展多数開催

 日本工芸会正会員


 市野信水 作陶展
2019年4月3日(水)~4月9日(火)
最終日は午後4時閉場
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大阪店6階西ゾーン 美術画廊
直通電話 06−6631−6382
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